はじめての地球一周~岡田編~
みなさんこんにちは。
改めて、なごやピースボートでスタッフをしてます
岡田ちひろです。
実はスタッフになって22年が経ちました。
今日はそんな22年前の初々しかった最初の船のことを思い出して
書いています。
わたしが乗船した初めての地球一周
第24回クルーズ。
1998年、イギリスのリバプール港。
22歳。初の海外に緊張し、あーここがビートルズの街か。そんなこと思ってた。
夜の出航だった。船のデッキに出ると、暗くて寒くて風が冷たくて雨もパラパラ降っていた。
港周りはひとけもなく、なんだか閑散としてて薄暗い。
船のデッキには同じように出航を見ようと人がちらほら。
もう出発したら戻れないなという覚悟と不安とほんの少しの期待と。
世界へ、旅に出るのだという実感。
とても大袈裟な気にさせてしまうのが「船の出航」
汽笛がなって、ゆっくりと港を離れ、港から手を振る見知らぬ人がドンドン小さくなっていき、わたしの気持ちはドンドン不安が広がっていった。
あの時何を思ってたのか鮮明に覚えている。
港にポツリポツリと立っている見送りの人をデッキの上から見下ろしながら
このひとたち何で船に乗らずに見送ってんだろう?
スタッフだろうか?スタッフだとして、船に乗らずに港から見送る気持ちってどんなだろうか?
こちら側も寂しいけど、そちら側も寂しいですか?
って、見送ってる見知らぬ人のことを考えてた。
そして、船が港から離れると夜の海が真っ黒でおそろしかった。これから未知の世界に出発する不安も重なって、何も見えない真っ黒な海の中には想像もできないほどの生き物がいるだろうなと思ったらブルっと震えた。そして船がつくる「潮の道」だけが白く泡立って水を叩きつける音と風を切るゴーゴーという音は、台風の中で突っ立てる気分だった。
見渡す限り真っ黒な海にポツリと浮かんでる船がチッポケで頼りなくて、心細くなった。
そんなことを思いながら100日を超える地球一周の船旅は始まった。
乗客は当時700人ほど。
ボランティアスタッフもしてなかった私は、
誰も知らないし、私を知ってる人も誰もいない。キャビンは4人の相部屋。
8畳くらいのスペースに2段ベットが並んでる。トイレとシャワー付き。
緊張しながら、はじめましてよろしくお願いしますと軽く挨拶。
朝方4時くらいまで寝付けず遅い朝に起きたら、もう誰も部屋にいない。
いきなり置いてけぼり感。とりあえずデッキへ。
昼間の海は最高だった。
「海は広い」って童謡が頭で流れた。
夜の海とまるで違う世界。
気持ちが晴れ晴れとして清々しい。
ウクライナ船籍のオリビア号はクルーはみんなウクライナ人。
船内はウクライナ語が飛び交っている。
わけわからない。このわけわからなさが、より旅に出たという気持ちにさせた。
デッキのバーで普段飲まないコーラーを注文して海を見ている。海が見たいというより、それ以外に何をしたらいいのかわからなかった。でも気分はサイコーだった。
船内のパブリックスペースではあちらこちらと企画が行われて、なんだか人が慌ただしく動いてたりザワついてたり。でも私には全く関係ことだと、ほとんど企画には参加しなかった、今思えば勿体ない。面白い企画が盛り沢山あったはず。
船内の8割以上が参加する運動会ですら知らない間に行われていて、みんながいつの間にチームに入っていたのか不思議に思ったくらい船内の流れに全くついていってなかった。
100日間かけて船はイギリスから大西洋を渡り最初の港は、
忘れもしない強烈に刻まれたキューバのハバナ。
中南米をまわってパナマ運河を渡り太平洋に出る。太平洋の島々を回ってアジアに入る。
中東に入ってスエズ運河を渡り地中海へ。ヨーロッパを巡りイギリスで帰航。
訪れた港は20数か所。
港が近づいてくると360度海に囲まれていた景色から陸地がうっすら見えて夜になると灯りが見える。
あー、あそこに人が暮らしてるんだなと思うとホッとした。陸地が見えてきた時の安心感、あの土地ではどんな暮らしがあるんだろうというワクワク感はたまらない。
船の速度はチャリンコで立ち漕ぎした時のスピード。
スピードを風で感じて太陽が昇り日が沈む。
空をみればあっちは曇っててスコールが降ってるのが見える。当たり前の自然現象がとてもダイナミックに感じる。海の色や質感は毎日違ってつるんつるんの日もあればザラザラの日もある。イルカの群れにも遭遇した。
そんな毎日を知らない人たちと100日間以上も共有してるというのは、なんとも特殊な空間である。
知らない人だけど一緒に旅してる。
あの心が震えるような感動をともにした、隣にいる人は知らない人。
そんな関係はふっとしたキッカケであっという間にギュインと距離が縮まってしまう。
今までどんな立場で生きてきたのか
どんなキャラで生きてきたのか
自分はみんなからこう思われている。
自分は友達にとってどんな存在で
家族との関係はこーであーで、、。
自分はこんな人間だと勝手に作り出した、
もしくは環境によって作られてしまった
固定概念が、さらりと吹っ飛ぶのである。
今までの当たり前はどうでもよくなり
今まで下らなかったものがかけがえのないものに
守り続けていたものが不必要になり
今までの大切なものがより大切になり
知らず知らずに縛りまくってた自分が解けていく。
デッキで夕暮れの海を眺めてビール飲んでいると気分も上がり。
隣に人がいたら、思わず声をかけちゃう。
この100日間でオリビア号はわたしの家になる。
私だけじゃなくて乗客700名の家になる。
ひとりで始まった旅は、
同じオリビア号で暮らす人たちと交わらせてくれる場所になった。
顔見知りができて、挨拶する人が増えて
一緒にお酒を飲む人がいる。
オリビア号はひとつの村となった。
村の中で1日1日と「知ってる人」が増えていった。
移動する村は海を渡り港に着岸する。
陸地を味わって船に戻ると
あのオイル臭かった船内の匂いがすでに懐かしく
「ただいま」という気持ちにさせる。
ウクライナ人クルーの無愛想さも徐々に顔馴染みに向ける笑顔に変わっていく。
そして港から帰ってくるわたしたちを「おかえりなさい」と迎えてくれる。
キャビンに帰ってシャワーを浴びてすぐさまデッキへ向かう。
港の出港シーンがとにかく好きだ。
その土地で過ごした時間が蘇りせつなくてさみしくて、港の灯りが美しくて
またここに来たい。と思わせてくれる。
船がゆっくりと港から離れていく。
そしてまた360度海に囲まれ、また次の陸地へと向かう。
そんなひとりで始まった旅が終わるころには大好きな人が何人もできていた。
下船最終日
朝方まで呑み、目は腫れ髪もボサボサ寝不足の二日酔いボロボロの最悪な状態で下船日を迎えた。
その時の写真レストランでモーニングティー飲んでいる酷い姿
それがわたしの最初の船の旅。
そして、そこから20年以上ピースボートに関わって
こんなにも強い気持ちで船を出したい。と思ったことはなかったかもしれない。
今、目の前にいるなごやピーセンのボランティアスタッフのみんなに
必ず船に乗ってもらい。
あきらめずに今ここにいるみんなが乗れる日まで全力でサポートしていきたい。
そんな訳で!とても長くなりましたが
これからのみなさんも、すでに乗船したみなさんも、それぞれのかかわり方で
いつでも遊びにきてください!
ピースボートセンターなごや
どうぞよろしくお願いしますね
岡田ちひろ