「涙が多かったボラスタ時代。出逢った仲間が涙を拭いてくれた。」~地球一周乗船したノンちゃんが綴る続編②~

みなさんこんにちは!

前回大好評だった

~地球一周乗船したノンちゃんが綴る続編②~

ピースボートとの出逢い編を読んでくださった方ありがとうございます。

今回はボラスタ生活編。

17歳の時に見た僕たちは世界を変えることができない、に動かされピースボートと出逢った訳なんですがすぐに世界一周へ!とは、なれませんでした。

17歳の私には、かなり大きな挑戦。
私がぶち当たった壁はお金。

これに共感する若者は沢山いると思います。
でも安心してください。
私は日本円800円だけを握りしめて乗船し
船内で自分が支払った金額は176円。

インドに寄港した時、ターミナルを出て街へ入ると
バイオハザードか!と思うくらいに
お土産を売りつけてくる集団に囲まれ、
怖くて船に猛ダッシュで逃げた。

みんなは、そんなお土産街たちをすり抜け
インドを満喫していて凄いなぁと思いながら
船内の窓際でバニラアイスを食べた。
その176円である。

インド2日目はお友達が連れ出してくれて
なんとか、バイオハザードゾーンのすり抜けに成功した。
そして連れ出してくれたお友達が
奢ってあげるから好きなもの買いなよ!と
言ってくれて一緒にインドをまわった
メンバーの誰よりも高いカラフルな
インドパンツを獲得した。

遠慮なく高らかに「これが欲しい!!!」と
ねだっても怒らずに買ってくれた
心が太平洋かと思うくらいに広いお友達よ、
あの時は本当にありがとう。

他のメンバーの苦笑いは忘れない。

冗談です(笑)
みんな太平洋ハートの持ち主で
助けられました。

そんな金欠船内編はまた後日。

話はそれちゃいましたが
とにかく私はそれくらいお金が無かった。
だからボランティアスタッフをして
ポスターを貼り全額割引をすることが
絶対条件だった。

地元から名古屋へ移り、ポスターを貼りました。
当時、選んでいたクルーズの船賃は99万。

私がポスターを貼り出した頃のボラスタは
人数も多かったしキャラクターも強かったし
最年少世代だった私を可愛がってくれた人ばかりだった。

その仲間たちがいつも、引っ張ってくれた。
本当にカッコよかった。

あまり貼れなかった日はドンマイ!ドンマイ!と慰めてくれたし
沢山 貼れた日は最高!凄い!と一緒に喜んでくれた。
高校を11ヶ月で退学した私にとっては
仲間と過ごす「青春」の毎日だったと思う。

そしてついに、その仲間たちが船に乗った。

見送る前は次は私が引っ張るんだ!と意気込んでいたのに
見送り後はなんだか心に大きな穴が開いた気分だった。

 

みんなが居ない。
未熟だった私は他のボラスタに
「楽しくない」と嘆いてしまった。
喧嘩になった。
私も楽しもうとしていなかったし
喧嘩した相手の子も悔しさが混ざっていた。

そこからポスターも頑張れない日が続いた。

泣きながらポスターエリアに行き、
1枚も貼らずに帰ってきた日もあった。
頑張れないことが本当に辛かった。

なんでこんな嫌な想いをして船に乗りたいのか
分からなくなるくらいに心が疲れた。

そんな私の姿を隣でずっと見ていた
スタッフが、ある日。

何かを決意したかのように
私の目の前に手を差し出して
「約束しよう、週5でポスター貼る、それが出来なかったら俺はお前を応援できない」

きっとスタッフ誰もが見捨てたいボラスタなんて居ないだろう。
でもボロボロになる私のために。
私を船に乗せたいために。

私はスタッフの手を握って、その日から
泣いても喚いてもポスターを貼ろうと決めた。

じゃないと自分の夢もスタッフも裏切るから。
誰かの想いも乗っかると、あんなに
嫌だったポスター貼りも自然と頑張れた。

喧嘩していたボラスタとも仲直りして
船に乗る直前には1番心を開けるぐらいの仲になった。

そんなこんなで周りの支えのおかげで
なんとか99万全額割引を達成できた。

さて、やっと乗船!!!

….とはいかないのが、ボラスタのんすけである。

ここから更に30万プラスで割引を貯めることに。

なんで!?いつ乗るん!?
私も自分に問いかけましたよ。

今回はこの辺で。
また次回の記事で会いましょう!