慰霊の日「平和の詩」

みなさんこんにちは。

本日は「慰霊の日」です

 

6月23日の「慰霊の日」は、沖縄戦犠牲者の霊を慰め世界の恒久平和を願う日です。
沖縄県が条例で記念日として定めました。

太平洋戦争末期の沖縄戦などの犠牲者を悼む「慰霊の日」76年前、約3カ月にわたる日米両軍の激しい地上戦によって、戦闘に巻き込まれた住民を含め約20万人が命を落としました。最後の激戦地だった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園にある「平和の礎(いしじ)」には犠牲となった家族や友人らの名前が刻まれた石碑の前で手を合わせ、平和を祈ります。

今から3年前の2018年

ニュースで流れてきた「平和の詩」本当に胸をうたれました。

それから慰霊の日と共にこの詩を思い出します。悲しくて痛ましい愚かな歴史を絶対に忘れてはならない、二度と繰り返してはならないという力強さ。今を生きてる力強さ。沖縄の圧倒的な美しさ大自然。
そして沖縄で出会ったあのおじいおばあの笑顔や陽気な三線の音も頭に浮かんできます。

みなさんに、ここで全文紹介させてください。

 

生きる

        浦添市立港川中学校3年 相良 倫子

 

私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 

私は今、生きている。

 

私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線の響き、

照りつける太陽の光。

 

私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

 

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

 

私はこの瞬間を、生きている。

 

この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

 

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ

 

私の生きる、この今よ。

 

七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃え尽くされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。

手を取り合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

 

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。

 

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、

絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、

宗教を超え、あらゆる利害を越えて、

平和である世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭わないことを。

 

あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。

 

今を一緒に、生きているのだ。

 

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 

私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

 

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

 

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。

 

いかに日本本土の人が沖縄のことを知らずにいるのか

慰霊の日は1965年に制定されており、この日は沖縄では役所や学校は休みになる。各地では追悼式が開かれ、平和への祈りに包まれる一日だ。一方で、沖縄タイムスとヤフーとの共同アンケートでは、全国からの回答者2000人のうち、75.5%にあたる1509人が慰霊の日を「知らなかった」と回答した。

 

という記事をみました。

いかに日本本土の人が沖縄のことを知らずにいるのか
沖縄戦のことも基地問題のことも今に続いてるということ
沖縄だけに問題を押し付けずちゃんと目を向けなきゃいけないんですよね

長くなりましたが最後に

いま私の息子が沖縄に住んでいます。息子の友人から

「ちむぐりさ」という言葉を教えて頂いた。
「肝苦りさ」と書く。肝が苦しい、と。単純にかわいそう、たいへんね、という意味ではなく、
「あなたが悲しいと、私も悲しい」という共感の言葉なんだ、と。

今の社会で必要なことは「ちむぐりさ」という感覚なのかもしれない。

【慰霊の日】沖縄ではタブー視されない「平和の歌」知花竜海インタビュー

【慰霊の日】沖縄ではタブー視されない「平和の歌」知花竜海インタビュー

↑↑↑この記事も興味深く読ませて頂きました。

 

追記:ちなみになごやピーセンの大城夏希は沖縄出身です。

本日6/23(水)定例Mのあとに「沖縄企画」を行います。

こちらもぜひご参加お待ちしてますよ

岡田ちひろ