10年前の3月11日、どんな日でしたか?

2011年3月11日。東日本大震災から、もうすぐ10年が経ちます。

みなさんは10年前の3月11日、どんな日でしたか?

それぞれがそれぞれの土地で、
忘れることない3、11だったと思います。

わたしは当時、とうきょうのピースボートセンターで勤務していました。
B1の東京ピーセンですら大きく揺れ、クルーズパンフを置いてた大きなスチール棚が倒れました。
何事かと外に出るとあちこちのビルからぞろぞろと外に出てくる人々、車道にも人が溢れてました。
そして目の前に立っている電柱がほんとうにぐにゃぐにゃに歪んでるかのように揺れていました。
あの時の恐怖と、ただ事じゃないという緊張感を今でもリアルに思い出します。

目をつむりたくなるほどの悲惨な被災地の映像、
同時に福島原発の報道は毎日TVで流れ
東京都内も目に見えた大きな被災はなくとも、
あの経験のない大きな揺れの恐怖や不安はしばらく重くのしかかり
被災した人たちの計り知れない悲しみと苦しみは胸をしめつけ
気を許せば涙がボロボロ出てしまうような日々が続いたのを覚えてます。

忘れもしない

先遣で現地入りしたスタッフが石巻を拠点に活動すると決め
ボランティアの受け入れを早急に整えて行われた

第一回目の
被災地ボランティア募集説明会。

出先にいた私は夕方に東京ピーセンに帰ろうと早稲田通りを歩いていたら
ピーセン前に人が溢れている、長い列をなしてピーセンに降りる階段につながっている。
なんとか人をかき分けてピーセンに入ると、隙間なく人がぎゅうぎゅうに詰まってる
自分の机にいくのもままならないくらい東京Pセンは人で埋め尽くされていました。

自分も被災地で何かできないか?自分はすぐにでも現地に行きます!
とりあえず東京で何かできることがあれば何でもします!
今は仕事してるけど調整出来次第お手伝いします!

そんな人たちで東京Pセンは溢れていました。
それぞれがいろんな想いを抱えながら時間の調整をし
行動に移そうと動いてくれた人たちがこんなにもいる。

その時、こらえきれず涙が溢れたのを思い出します。

それから立ち上がったピースボート災害支援センター(PBV)

あれから10年。
忘れることのできない3.11。

たくさんの感情に溢れた現地でのボランティア作業。
支援してる側、されてる側という関係をはるかに超えて
お互いに支えられ、励まされ、共に復興に向けてかかわったたくさんの人たち。

あれから10年、節目というべきなのわかりませんが
それぞれが、それぞれの場所で
忘れることのない3.11だったと思います。

なごやPセンからも本当に多くのボランティアスタッフが
漁業支援「イマココプロジェクト」に関わり現地に行きました。

関わったみなさん、『いま、だれに会いたいですか?』

【告知 3/13LIVE配信】
東日本大震災から10年 私たちの石巻にいた時間
『いま、だれに会いたいですか?』

3月13日(土)13時から17時
ピースボート災害支援センターYouTubeチャンネル LIVE配信

配信URL:https://youtu.be/O2r7zx1T0B8?
詳細は、Facebookイベントぺージ
https://www.facebook.com/events/163266358745987
\3月末までクラウドファンディングに挑戦中!/
コロナ禍でも被災者を支えたい! #1人の100歩より100人の1歩?
https://readyfor.jp/projects/pbv10thmemorial

PBVについて


https://www.facebook.com/PBVsaigai/

追伸
私は、5月GWに休みを利用して石巻へボランティアに行きました。
たかが4、5日の滞在でしたが、保育園の泥かき、飲食店の泥かきをしました。お店が再開したと報告を受けましたが、店主さんお元気にしてますでしょうか?